今回は、如月の「ならわし」について綴っていきたいと思います。
先人たちから受け継がれ続けてきた日本のならわしについて想いを巡らせて、これからも暮らしの中にゆったりと無理なく、丁寧に受け継いでいくことができたら嬉しいです。
【如月(きさらぎ)】
寒の戻りでまだ寒さが続くので、衣を更に着込むことから「衣更着(きぬさらにき)」が由来となったといわれる他、日ごとに温かくなるので「気更来(きさらぎ)」、草木が生え始めることから「生更木(きさらぎ)」、草木の芽が張り出すので「草木張り月(くさはりづき)」が転じたとされるなど、様々な説があるようです。
「建卯月(けんぼうげつ)」、「梅見月(うめみづき)」、「初花月(はつはなづき)」などの異名もあります。
立春を迎えますが、体感的にはまだまだ寒くて冬の季節ですね。
でも、暦の上では春の気配が。
次なる季節の兆しが少しずつですが、感じられるようになってきます。
動植物同様、私たちも目覚めの季節に向けてウォーミングアップを始めるタイミングですね。
新しい生活に向けて、新しい習い事、始めてみたい趣味、見直したい生活習慣などなど、リサーチを始めてみてはいかがでしょうか。
(※如月の「ならわし料理」はお休みさせていただきます。)
■2月3日頃
【節分】
節分とは、本来四季を区切る節目の日のことで、もともと立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日、年に4回をあらわす言葉でした。
旧暦では立春の前後に元日を迎えることから、立春の前日(大晦日)にあたる節分が重要視されるようになり、次第に、春の節分を指すようになりました。
古来、季節と季節の隙間には災いや邪気が忍び込むものとされ、宮中にて、季節の変わり目には鬼や災難を追う払う「追儺(ついな)」という厄除けの行事が行われていました。
そして、節分は1年の最後に、その年の穢れを払い、無病息災を願う行事となったのです。
次第に各地の寺社に受け継がれ、行事のひとつである「豆打ち」が豆まきとして庶民の間にも浸透していったそうです。
【豆まき】
節分の前日までに大豆を神棚に供えて、当日の日暮れまでにその豆を炒ります。夜になると家中の戸を開け放って「鬼は外、福は内」と2回ずつ繰り返しながら各部屋に豆をまいて、福を逃がさないように戸を閉めます。
豆をまくのは、“魔(ま)を滅(め)する”の語呂合わせからだそうです。
そして、自分の歳の数の豆(年取り豆)、もしくは年齢プラス1粒を食べて、1年の無病息災を祈ります。
元来は、年男(その年の干支に生まれた人)、もしくは家長が豆をまいていたそうですが、現代では各家庭によってそのスタイルも変化していますね。
特に、小さな子供のいるご家庭では、親子一緒に楽しむならわしとして自然と引き継がれているのではないでしょうか。
【柊挿し(ひいらぎさし)】
柊挿しは魔除けのおまじないのことです。
柊鰯(ひいらぎいわし)や節分鰯(せつぶんいわし)とも言われ、地域によってさまざまな呼び方があるそうです。
鬼が侵入してくるのを防ぐために、焼いた鰯の頭を柊の枝に刺して、門口や軒下に吊るしました。
現代では玄関付近、庭やベランダの戸口に飾るのがよいでしょうか。
柊のとげが鬼の芽を刺し、鰯の臭いが鬼を追い払うという言い伝えがあります。
【節分蕎麦】
昔は、立春の前日である節分は大晦日にあたるので、年越し蕎麦として食べられていたのが節分蕎麦です。
諸説あるそうですが、現代の年越し蕎麦と同様、蕎麦は切れやすいことから、1年の災いや厄を切る、といういわれがあったそうです。
【恵方巻(えほうまき)】
恵方とは、その年の年神様が訪れる方角をいいます。
縁起が良い方角といわれ、その恵方を向いて食べる太巻き寿司が恵方巻です。
願い事をしながら、無言で1本を一気に食べることで夢が叶い、1年を無病息災で過ごせるとされています。
恵方は干支と共に、毎年変わりますのでご注意くださいね。
江戸時代末期に大阪で始まった風習だと言われていて、全国的に広まったのは、2000年代に入ってからと、ごく最近のことです。
近年では様々な種類の恵方巻が店頭でも見られるようになりました。
■2月4日
【立春(りっしゅん)~二十四節気】
(※「立春」について詳しくはこちら)
■2月5日
【初午(はつうま)】
2月最初の午の日のことを「初午」といいます。
これは、711(和銅4)年の初午に、農耕を司る神様である「倉稲魂神(うかのみたまのかみ)」が馬(午)に乗って稲荷山(京都府)に降臨したという伝承に由来するもので、全国各地の稲荷神社ではお祭りが行われます。
旧暦では、初午が農作業を始める時期にあたることから、五穀豊穣の祈願のために稲荷神社へ参拝していました。
そして近年では、開運や福徳、商売繁盛をもたらす祭神とされ、家内安全や商売繫盛を願う参拝が多くなっています。
そしてそのお使いは、稲荷神社の境内にある像でもお馴染みの狐です。
お祭りの際には、狐の好物である油揚げや油揚げを使った稲荷寿司を供えたり食べたりし、願い事を届けてもらいます。
稲荷寿司は、地域によって形が異なるのをご存知ですか?
東日本では米俵に見立てた俵型、西日本では狐の耳に見立てた三角形のものが一般的なんですよ。
また、養蚕が盛んだった地域では、初午に繭の形を模した団子を作り、五穀豊穣や商売繫盛などを願う風習があります。
初午団子の作り方や食べ方は地域によって異なり、近所に配るところもあるそうです。
■2月8日
【事八日(ことようか)・こと始め・針供養(はりくよう)】
2月8日と12月8日を「事八日」といい、厄日とされ、身を慎み、仕事をせずに過ごす1日とされていました。
どちらかが「こと始め」または「こと納め」となります。
例えば、「こと始め」の「事」が農作業の場合は、準備が始まる2月8日が「こと始め」となり、農作業の神事が終わる12月8日が「こと納め」となります。
反対に、「事」がお正月に関することであれば、正月の準備が始まる12月8日が「こと始め」で、正月の片付けが終わり、落ち着く2月8日が「こと納め」になります。
事八日に1年の豊作や無病息災を願って食べるみそ汁のことを「御事汁(おことじる)」といいます。
別名「六質汁(むしつじる)」ともいわれ、基本的に、小豆、里芋、大根、人参、ごぼう、こんにゃくの6種類の具材を使いますが、地域によっても異なるようです。
昔の女性にとって、裁縫は大切な仕事であったため、「事八日」は針仕事はお休み。
この2月8日と12月8日のどちらか、若しくは両日は針供養の日とされ、古くなった針や折れた針に感謝をして、豆腐やこんにゃくに刺して神棚に供えたり、川に流したり土に埋めたり、神社に納めたりして供養し、裁縫の上達や安全を願いました。
針供養は、女性を守ってくださる「淡島神(あわしまのかみ)」をまつる淡嶋神社(粟島神社)や淡島堂を中心に、各地の社寺で行われています。
豆腐など柔らかいものに刺すのは、最後は柔らかいところで休んでいただきたいという気持ちや、供物としての意味があるといわれています。
ものにも魂が宿っていると考えて、大切に思ってきた先人たちの暮らしぶりが伝わってくるならわしのひとつですね。
■2月中旬~3月中旬
【梅まつり】
梅は奈良時代に中国から持ち込まれて以来、貴族たちに愛でられ、多くの歌人によって詠まれるようになりました。
まだ厳しい寒さの中で咲き始める梅は、昔から春の到来を知らせる「春告草(はるつげぐさ)」として愛されてきました。
平安時代以降は桜の花見が主流になってきますが、江戸時代に入ると梅干しづくりが農家の副業になるにつれて梅の植樹が増え、梅の名所が全国各地に生まれたそうです。
そこから、梅見は庶民にも親しまれるようになったのだそうで、今でも全国各地で梅まつりが行われています。
■2月19日
【雨水(うすい)~二十四節気】
(※「雨水」について詳しくはこちら)
■2月下旬~4月下旬
【初音(はつね)】
鶯(うぐいす)のさえずりを耳にすると、冬から春へと季節が巡ってきたのだなぁ、と実感しませんか?
鶯の別名は「春告鳥(はるつげどり)」。
そして、その年の初鳴きを“初音”といい、季節を知る指標にもなっています。
初鳴日とは、春に鶯が「ホ ーホケキョ」とさえずるのを初めて聞いた 日をいいます。
夏の間は山地で過ごす鶯が、秋になると人里近くの森ややぶに移動して冬を過ごします。
この時季は、ささ鳴きといわれる鳴き方で「チャ・チャ・チ ャ」と鳴くのだそうです。
早春から再び山地へ移動をはじめ(北海道では春に本州から渡来)、このころから「ホーホケキョ」をさえずり始めます。
鶯の初鳴は、2月下旬に九州地方、四国地方の一部や関東地方の一部で始まり、中国地方、四国地方、近畿地方、東海地方、関東地方、東北地方南部太平洋側 を結ぶ地域、北陸地方北部から東北地方太平洋側を結ぶ地域に達します。その後、 東北地方を北上し4月下旬に北海道地方に達するそうです。
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